TOP FUTURE
KIZASHI
人間は、これから何をする存在になるのか
今朝、日本経済新聞(NIKKEI Digital Governance)で人型ロボットについての記事を読んだ。
人型ロボットの出荷台数が急速に増え、価格も大きく下がってきているという内容だった。
中には200万円台で販売されるものもあり、走る、物を運ぶ、点検するなど、できることも急速に増えている。
僕がこの記事を読んで感じたのは、特定の国や企業がすごいということではない。
ロボットというものが、僕が思っている以上の速さで現実の社会に入ってくるのかもしれない。
そのことだった。
数年前の「できない」が、簡単にひっくり返る
少し前まで、人型ロボットについては、
- 「二足歩行は難しい」
- 「わざわざ人間の形にする必要があるのか」
- 「できたとしてもコストが合わない」
という話をよく聞いた気がする。
僕自身も、そういうものなのだろうと思っていた。
ところが今は、価格が下がり、性能が上がり、実際の現場で使うための実証も始まっている。
もちろん、まだ人間と同じように何でもできるわけではない。
ただ、ここで改めて思う。
テクノロジーは、今できないことを驚くほど早く当たり前に変えていく。
- 「今は高いから普及しない」
- 「今は精度が低いから使えない」
- 「今の技術では難しい」
それは今日の答えであって、5年後の答えではない。
この変化の速さは、AIでも何度も見てきた。
そしてロボットでも、同じことが始まっているのだと思う。
再定義されるのは、仕事だけではない
AIが普及すると、
- 「この仕事はなくなるのか」
- 「自分の仕事は残るのか」
という話になりやすい。
ロボットについても同じだと思う。
工場の仕事はどうなる。
物流はどうなる。
介護はどうなる。
事務はどうなる。
もちろん、それも大事な問題だ。
でも最近の僕は、もう少し大きな変化が起きるのではないかと思っている。
再定義されるのは仕事ではなく、
「人間は何をする存在なのか」
なのかもしれない。
人間は、作業をするために生まれたのだろうか
人間は昔から働いてきた。
狩りをする。
食べ物を育てる。
家をつくる。
生きるためには当然、何かをしなければならなかった。
そして工業化が進み、大量にものをつくり、大量に届ける社会になった。
その結果、社会は驚くほど豊かになった。
一方で、人間自身も生産システムの一部になっていったようにも思う。
毎日決まった時間に働き、作業を繰り返し、効率を高め続ける。
それが悪いという話ではない。
今の豊かな生活は、その積み重ねの上にある。
でも、もしAIやロボットがその作業を少しずつ代わりにやってくれるようになったらどうなるのだろう。
僕は、人間が必要なくなるとは思わない。
むしろ逆かもしれない。
テクノロジーの先に、人間らしさがある
考える。
創る。
人と話す。
コミュニティをつくる。
文化をつくる。
そして、次の文明をつくっていく。
そういうことに、人間がもっと時間を使えるようになるのかもしれない。
昔の映像を見ると、ときどき不思議な感覚になる。
今より不便だったはずなのに、人と人との距離や、家族との時間、街の風景を見ていると、どこか豊かに感じることがある。
もちろん昔の方が良かった、と単純に言いたいわけではない。
むしろ僕はここから未来の方が豊かになると思っている。
もしかすると僕たちは今、テクノロジーが急激に進歩する途中にいて、便利さを手に入れる一方で、その使い方がまだ追いついていないだけなのかもしれない。
AIもロボットも成熟していけば、人間が機械のように働く必要は少しずつ減っていく。
そしてその先で、僕たちはもう一度、
何を考え、何を創り、誰と生き、どんな社会をつくりたいのか。
そこに時間を使えるようになる。
そう考えると、僕はAIやロボットの進化をそれほど悲観していない。
もちろん、その途中では仕事が変わり、制度が追いつかず、混乱する時期もあると思う。
それでも長い時間軸で考えれば、きっと今より豊かな社会になる。
だから僕が考えたいのは、
今ある仕事が残るかどうかではない。
人間はこれから、何をする存在になるのか。
ロボットのニュースを読みながら、そんなことを考えた。


