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HATARAKI
いい仕事は、仕事だけではつくれない。
こんにちは、株式会社Galaxiaの上杉です。
「いい仕事ができる人」と聞くと、どんな人を思い浮かべるでしょうか。
- 知識がある人
- 判断が速い人
- 技術がある人
- 経験が豊富な人
もちろん、どれも仕事をするうえで大切な力です。
ただ、会社を経営し、いろいろな人と一緒に仕事をする中で、最近はそれだけではないと感じるようになりました。
どれだけ能力が高くても、一人だけでつくれる仕事には限界があります。
誰かに考えを伝え、意見をもらい、ときには自分の考えを修正しながら、仕事は少しずつ良くなっていく。
もしかすると、仕事の質を決めているのは「その人が何をできるか」だけではなく、「周囲とどう仕事をつくっているか」なのかもしれません。
そんなことを考えるきっかけになったのが、VAMOSで読んだ、極東ファディの商品開発を担当する田久保さんの記事でした。
「解決する力」の前に、「何を解決するか」を決める力がある
僕は商品開発の専門家ではないし、食品について詳しいわけでもありません。
それでも田久保さんの記事を読んでいて興味を持ったのは、「仕事をどう自分のものにし、周囲とどう磨いていくのか」という仕事への向き合い方でした。
特に印象に残ったのが、課題の置き方です。
紹介されていたチキン南蛮の商品開発では、「家庭で手軽に、おいしいチキン南蛮を食べてもらう」という目的があり、そのうえで、家庭で調理すると甘酢が焦げやすいという具体的な課題を見つけています。
そして、甘酢を別添えにするという改善につなげている。
ここで重要なのは、改善策そのものより、その前に、
「誰に、どんな価値を届けたいのか」
「そのために、今何が障害になっているのか」
という問いが置かれていることだと思います。
仕事では、つい「どう解決するか」に目が向きます。
新しいツールを使う。デザインを変える。人を増やす。
でも、そもそも解決すべき課題を間違えていれば、どれだけ優れた解決策を持っていても成果にはつながりません。
仕事ができる人とは、解決策をたくさん知っている人ではなく、「何を解決するべきか」を正しく定義できる人なのかもしれません。
「言われた通りにやる」と「責任を持つ」は同じではない
もう一つ、記事の中で強く残った言葉があります。
「真剣に仕事に取り組むことは、強い責任感を持つことと同じ」
という田久保さんの言葉です。
これを読んで、「仕事に責任を持つとは何だろう」と考えました。
会社では毎日、誰かから誰かへ仕事が渡されます。
- 「これを作ってほしい」
- 「ここを修正してほしい」
- 「この企画を考えてほしい」
頼まれたことを、頼まれた通りにやる。それも仕事です。
ただ、それだけではまだ「自分の仕事」になっていないのではないか、と僕は思います。
誰かから渡された仕事でも、一度自分の中で引き受け直す。
- なぜ、この仕事をするのか。
- 何を良くするための仕事なのか。
- 本当の課題はどこにあるのか。
- もっと良い方法はないのか。
そこまで考え始めたとき、仕事は「やらされているもの」から「自分の仕事」に変わる。
責任とは、単に期限を守ることでも、指示通りに完成させることでもない。
渡された仕事の目的まで引き受けること。
それが、仕事に責任を持つということなのではないでしょうか。
フィードバックは、「もらったあと」で差がつく
田久保さんの商品開発では、上司や同僚、社内での試食など、さまざまな人からフィードバックを受けながら試作品を改善していきます。
僕たちも仕事をしていれば、上司、同僚、お客様から多くの意見をもらいます。
でも、フィードバックは「もらった」だけでは価値になりません。
- なぜそう感じたのか。
- 自分には何が見えていなかったのか。
- 次の仕事では何を変えるのか。
そこまで考え、次の行動に反映して初めて意味を持つ。
そして、フィードバックを生かすことには、もう一つ大切な意味があると思っています。
それは、「またこの人に伝えよう」と思ってもらえることです。
以前伝えたことが次の仕事に反映されていれば、「ちゃんと受け取ってくれた」と感じる。
すると、次も意見を伝えたくなる。
反対に、何度伝えても何も変わらなければ、人は少しずつ何も言わなくなります。
フィードバックを生かすことは、自分が成長するためだけではない。
周囲から知恵や意見が集まり続ける関係をつくることでもある。
仕事の成長速度は、本人の能力だけで決まるものではないのかもしれません。
「これくらい分かってほしい」は、仕事を渡す側の甘えかもしれない
この記事を読みながら、Galaxiaのことも考えました。
正直に言えば、僕自身、忙しくなると、
「これお願い」
「こういう感じで」
と短い言葉で仕事を渡してしまうことがあります。
そして心のどこかで、「これくらいは分かってほしい」と思っている。
でも、それは仕事を渡す側の甘えなのかもしれません。
- 何を目指しているのか。
- なぜ今これをやるのか。
- 何を問題だと思っているのか。
- どこは変えてよくて、どこにはこだわっているのか。
それが共有されていない状態で「自分で考えてほしい」と言われても、受け取った側は自分なりに解釈するしかありません。
そして完成したものを見て、
「なんか違う」
となる。
これは一見、仕事を受けた側の能力の問題に見えます。
しかし実際には、仕事が始まる前の課題設定とコミュニケーションで負けている可能性がある。
「考えて仕事をしてほしい」と求めるのであれば、そのための判断材料を渡すことも、仕事を任せる側の責任なのだと思います。
阿吽の呼吸は、コミュニケーションを省いた結果ではない
一方で、僕には短いコミュニケーションでも仕事が進む人がいます。
Galaxiaの部長である横川は、その一人です。
- 僕がどこにこだわるのか。
- 何を基準に判断するのか。
- どういうときに考えを変えるのか。
そうしたことを理解しているから、忙しいときには本当に短い言葉だけで仕事が進みます。
以前は、それを単純に「長く一緒に仕事をしているから」だと思っていました。
でも、少し違うのかもしれません。
阿吽の呼吸とは、コミュニケーションを省略してきた結果ではない。
むしろ逆です。
普段から話し、意見をぶつけ、失敗し、修正し、「自分はこう考えている」と互いに伝えてきた。
その蓄積があるから、10を説明しなくても2で伝わる。
コミュニケーションの省略は、コミュニケーションの蓄積によって初めて成立する。
忙しいときに少ない言葉で仕事が進む組織をつくりたいなら、普段から互いの考え方を共有しておかなければならない。
これは、今のGalaxiaにとっても重要なことだと思っています。
いい仕事は、人と人との間でつくられる
「仕事ができる人」と聞くと、僕たちは個人の能力を想像しやすい。
- 頭がいい。
- 技術がある。
- 判断が速い。
- 経験がある。
もちろん、それらは大切です。
でも今回、田久保さんの記事を読んで改めて感じたのは、仕事の質は個人の中だけで完結しないということでした。
- 自分の考えを伝える。
- 周囲から意見をもらう。
- 一度受け止める。
- 自分の軸で考え直す。
- 改善する。
- また見てもらう。
その往復の中で、仕事は少しずつ磨かれていく。
そして、
「この人なら、また意見を伝えたい」
「この人とは、また一緒に仕事をしたい」
という信頼が生まれていく。
信頼があるから、いい仕事ができる。
同時に、一緒にいい仕事をつくろうとしてきた積み重ねが、信頼をつくる。
だから、いい仕事をしたいなら、「仕事」だけを見ていてはいけない。
- その仕事を誰とつくるのか。
- 相手とどんな関係を築いているのか。
- 互いの考えをどれだけ理解しているのか。
そこまで含めて、仕事なのだと思います。
一つのチキン南蛮の商品開発の記事から、ずいぶん遠くまで考えてしまいました。
でも、一つの仕事の奥にある考え方をたどっていくと、普段何気なくやっている自分たちの仕事にも、まだまだ考える余地があることに気づきます。
仕事は、成果物をつくることだけではない。
誰かと一緒に、より良いものをつくれる関係を育てていくこと。
それもまた、仕事の一部なのだと思います。
そう考えると、仕事というものは、やはり面白い。





