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経験値の貯金で、飯を食わない

経営者として、おじさんになるのが怖い

経営者として、おじさんになっていくことが少し怖い。

最近、そんなことを考えるようになった。

人は結局、自分が経験してきたことをもとに人に話をする。

僕自身もそうだ。

社員に何かを教えるときも、判断するときも、

「昔こういうことがあった」

「こういう場合は、だいたいこうなる」

「自分だったらこうする」

と、これまでの経験から考えることが多い。

もちろん、それ自体は悪いことではない。

経験があるからわかることもたくさんある。

ただ、最近少し怖くなった。

自分は今、新しい経験値を増やしているのだろうか。

学生時代の僕は、今考えると本当に嫌な学生だったと思う。

先生を尊敬できるかどうかを、その人の経験値でかなり判断していた。

「この人は、本当にそれを経験したことがあるのだろうか」

と思ってしまうと、途端に話を聞かなくなる。

逆に、自分より圧倒的にいろいろな経験をしている人の話は素直に聞けた。

尊敬できないと思った先生には結構きつく当たっていたので、今思えば、人としてかなり未熟だったと思う。

でも、その頃の自分の論理を今の自分に当てはめると、少し怖い。

44歳になった僕が、

昔の経験だけを何度も取り出して社員に話しているとしたら‥

経験値という入金が止まっていないか

同世代の44歳と比べれば、たぶん今でもかなり動いている方だとは思う。

会社を経営して、新しい事業を考えて、AIにだって触れている。

それでも自分の中には、「経験値の貯金で飯を食っているな」という感覚がどこかにある。

昔やってきたこと。

昔失敗したこと。

昔うまくいったこと。

それを取り崩しながら判断している。

貯金があることは悪くない。

問題は、経験値という入金が止まることだ。

だから、ここら辺でもう一度、自分自身を更新しないといけないのかもしれない。

そんなことを最近考えている。

43年間持ち続けた癇癪を手放す

その一つが、僕にとってはアンガーコントロールだった。

僕は、かなりの癇癪持ちだ。小学校の通知表に、担任の先生から「癇癪持ち」と書かれたことがある。

親からその言葉の意味を聞いて、その説明にまた腹を立てたくらいなので、なかなか筋金入りだと思う。

44年間生きてきて、おそらく43年くらいは癇癪持ち。

そろそろやめてもいいんじゃないか。

最近そう思うようになった。

よく考えれば、癇癪なんて持っていて得するものではない。

なのに43年間、大事に持ち続けてきた。

もし90歳まで生きられたら、今やめても人生の約半分は「癇癪持ちではない自分」で過ごせる。

そう考えると、今からでも全然遅くない。

むしろ、人生の最後に、「あの人は癇癪持ちだったね」ではなく、

「あの人はあまり怒らない人だったね」と言われる可能性がまだある。

前半戦の43年を、後半戦でひっくり返す。いかにも上杉らしい生き方だ。

怒ったとき、相手より先に自分を見る

では、どうすれば癇癪をやめられるのか。

よく聞くのは、

「怒りを感じたら深呼吸しましょう」

という方法だ。

何度かやってみた。

でも僕の場合、深呼吸して落ち着いても、しばらくするとまた怒りが込み上げてくる。

どうも筋金入りの癇癪持ちには、それだけでは足りないらしい。

最近、自分には別の方法の方が合っている気がしている。

それは、

怒ったときに、相手を見るより先に自分の行動を見ること。

原因を探す前に、一度飲み込んでみる

「なんでこんなことになったんだ」

と考え始めると、人は原因を探す。

誰かのせいにはしなくても、

状況が悪かった。

タイミングが悪かった。

説明が足りなかった。

相手が理解していなかった。

いろいろな理由が出てくる。

もちろん、本当にそういう原因もある。

でも、その原因分析に入る前に、一度、

「こうなった」

という事実だけを飲み込んでみる。

良いとも悪いとも判断しない。

誰の責任かも考えない。

まず、

「こうなったんだな」

と受け入れる。

そのあとで、

自分は何をしていたのか。

何を見落としていたのか。

もっと早くできることはなかったのか。

と考える。

すると不思議なことに、

「そういえば、この前も似たことで怒ったな」

ということに気づいたりする。

そうなると問題は、目の前の誰かではなくなる。

自分の中に同じパターンがあるのではないか。

と考えられるようになる。

怒りが「相手を攻撃する材料」ではなく、

自分について新しいことを知る材料となる。

これは癇癪だけの話ではない

実はこれって、癇癪だけの話ではないのかもしれない。

仕事で失敗したときもそうだ。

仕事で予想が外れたときもそうだ。

人間関係がうまくいかなかったときもそうだ。

僕たちはすぐに、

「なぜこうなったのか」

と原因を探そうとする。

でも、その前に一度、

起きたことをそのまま受け入れる。

それから自分を見る。

すると、今まで見えていなかった自分の癖や、判断のパターンが少しずつ見えてくるのかもしれない。

今までと違う自分を経験してみる

44歳になって思うのは、

成長というのは、新しい知識を増やすことだけではないということだ。

長年持ってきた自分のやり方を、一度疑ってみることも成長なのだと思う。

昔うまくいったやり方。

長年変わらなかった性格。

自分では当たり前だと思っている判断基準。

そういうものを、

「これは、本当にこの先も持っていた方がいいのか」

と考えてみる。

経験値を増やすというのは、海外に行ったり、新しい仕事をしたり、新しい人に会ったりすることだけではない。

今までの自分ではしなかった反応を、一度してみることも新しい経験なのだと思う。

癇癪持ちだった人間が、怒らずに考えてみる。

それだけでも、僕にとっては貴重な経験になる。

43年間やってきた自分の攻略法を、そのまま使い続けるのではなく、

44歳から、もう一度自分を攻略し直してみる。

経営者としておじさんになっていくことは止められない。

でも、おじさんでも経験値を積むことはできる。

昔の経験の貯金だけで飯を食う経営者にはならないようにしたい。

そのためにも、まずは43年間持ち続けた癇癪を、一つ手放してみようと思っています。

ここで書いてしまったので頑張ります。

上杉 勇煕 CEO, GALAXIA KITAKYUSHU, JAPAN

BLOGでは、実際に社内で書かれた文章を、一部表現を整えて公開しています。

もともと社内向けに書かれたものだからこそ残っている、迷いや気づき、そのときの温度感。
前後の文脈が伝わりにくい部分も含めて、Galaxiaの日々としてお読みください。

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